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「学生街の喫茶店」 ガロ 1972年

2007-01-30

Tag : ガロ

僕の通っていた大学の近くにもたくさん喫茶店があって、コーヒーを一杯で何時間も友人たちとよくダベッたりしてました。 果たして商売として成り立っていたのかどうか定かではありませんが、貧乏な学生にとっては大変ありがたい場所でした。 勝手な推測ですが、喫茶店のマスターもきっと好きでやってたんじゃないかと思います。 たぶん。

スローなイントロとハスキーなボーカル、そして綺麗なハーモニーが素敵だった「学生街の喫茶店」は、当初シングルのB面として発売されていたんだそうです。 ところが発売元も予想外のヒットで、今も心に残る名曲となりました。 メロディーもそうですが、歌詞の中に「訳もなくお茶を飲み話したよ」なんて学生時代を思い出させてくれるところがあって、大人になって聴いてみるとあらためて良い曲だなあと思います。

何年か前に確かNHKでフォークソングのスター達を集めて懐かしのヒット曲を歌ってもらうという番組があって、その中でガロのボーカルがひとりでこの曲を歌っていました。 もう解散してしまったグループだから仕方がないのかもしれませんが、メンバーのひとりが不慮の死を遂げたという悲しい事実があるので、なんだか可哀想な気がしたのを覚えています。 時は流れて喫茶店もスターバックスのようなスタイルが増えてきましたが、僕は今でも昔ながらのちょっと閉じた空間がある喫茶店のほうが好きですね。


GARO アンソロジーGARO アンソロジー
学生の頃は、なんであんなにキツキツのジーンズに足を通すのが気持ち良かったのか。 改めていいグループだったんだなあと思わせてくれるガロのベスト。 「学生街の喫茶店」には泣けてきます。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1
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「ヴィーナス」 ショッキング・ブルー 1970年

2007-01-29

レトロなイントロにちょっと投げやりと言うか、突き放したような女性のボーカル、それでいて心を掴んで離さないところがあるのがオランダのグループ、ショッキング・ブルーのヒット曲「ヴィーナス」です。 地元オランダでは1969年に発売されたそうですが翌70年、アメリカのヒットチャートで1位にまで登りつめます。

ズンズンチャチャ・ズンズンチャチャという伴奏とちょっとセクシーな女の子のボーカルが妙に耳に付いて離れない、不思議な魅力のある曲が当時中学生の僕の心を捉えました。 なんといっても、ちょうど色気づいてくる年頃ですからね。 マイナーな曲調がまた変に心地よくて、洋楽に目覚め始めた敏感な耳とハートに訴えるところがあったんでしょう。

当時はオランダのグループだという事はまったく知りませんでしたが、ラジオから流れてくるアメリカやイギリスの洋楽と共に、だんだんと自分の世界が広がってくるような心地良さがあったものです。 まだまだラジオが情報源や音源として貴重な時代でしたからね。 最近では気軽に一曲からダウンロードして聴くこともできますが、思いもかけずラジオから素敵な曲が流れてくると、なんだかとても幸せな気分になった、そんなことを思い出します。


ショッキング・ブルーショッキング・ブルー
オランダ産のグループ、「ショッキング・ブルー」。 紅一点マリスカのちょっと突き放したような、それでいて切ないボーカルが素敵です。 「悲しき鉄道員」あたりもおすすめで、若者にも聞いていただきたい。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

「スピーディーズ・カミング」 スコーピオンズ 1974年

2007-01-26

学生時代にアルバイトから帰ってきたある日ラジオでハードロック特集をやっていて、その時流れてきた曲がスコーピオンズの「スピーディーズ・カミング」です。 バイクのエンジンが唸るようなギターとクラウス・マイネの硬質でハイ・トーンなボーカルがかっこよくて、コロッと参ってしまいました。 前回のAC/DC同様、ロックといえばアメリカやイギリスだけじゃないのは当たり前なんですが、ドイツ人もなかなかやるもんだなあと思いました。

このバンドにはやっぱり僕の好きなギターとボーカルがいて、ボーカルは見た目はいまいちだが声はかっこいいクラウス・マイネ、リーダーでギターのルドルフ・シェンカーと、この曲を発表した頃はウルリッヒ・ロートという天才肌のギタリストもいました。ちなみにルドルフの弟マイケル・シェンカーの後釜で入ったプレーヤーですね。 この後、衝撃的なジャケットで物議を醸した「ヴァージン・キラー」が話題になりましたが、さすがにあれはマズイんじゃないかと思いましたね。

80年代に入ると「ブラックアウト」、「ラヴ・アット・ファースト・スティング」という名盤を立て続けにヒットさせて世界的人気バンドにのし上がっていくところもAC/DCとよく似ています。 このあたりは60年代の終わり頃からロックが盛んだったイギリスなんかと比べて若干のタイム・ラグがあるのは仕方ないでしょうね。 じゃ、日本はどうなのかというとそれなりに頑張っている人達もたくさんいたので、ぼちぼち紹介していきたいと思ってます。


蠍団爆発!!スコーピオンズ・ライヴ蠍団爆発!!スコーピオンズ・ライヴ
ジャーマン・ロックの帝王、スコーピオンズの傑作ライブ。 「荒城の月」はいらないんじゃないかと思ったけど、まあ彼らなりのリスペクトということで良しとしましょう。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

「ハイウェイ・トゥ・ヘル」 AC/DC 1979年

2007-01-21

Tag : AC/DC

何もハードロックといえばアメリカとイギリスだけじゃないのは当たり前で、オーストラリアのシドニーで結成され、今や世界中で大人気のハードロック・バンドがAC/DCです。 80年代に入ってからの大爆発を予感させるアルバムとなった70年代最後の名盤「ハイウェイ・トゥ・ヘル」の同名曲は、今でもテレビなどで耳にすることがあります。

インパクトのあるバンド名やもっとインパクトのあるライブ、見てくれの悪さではなかなか彼らに勝る世界的な人気バンドっていうのもいないんじゃないかと思いますが、これぞロックンロールという典型的なタテノリサウンドは、高速で車を飛ばしながら聞くのに最適です。 ギターのアンガス・ヤングは徹底してギブソンSG一筋、昔はライブで尻を出したりしてたそうですが、身長約165センチ?をものともせずロックに魂を捧げているところがかっこいい。

ローリングストーンズやエアロスミス、それに矢沢永吉なんかもそうですが、永い間ロックをやり続けておっさんになってもロック一筋というのはなんだか羨ましい。 時々若者たちを押しのけてライブの最前列で大声を上げて飛び跳ねてみたい、という欲望にかられることがありますが、ロックのCDも買わなくなったしギターも弾かなくなった最近の自分を振り返ると、こんなことではイカン、と思ったりする今日この頃です。


ハイウェイ・トゥ・ヘル AC/DCハイウェイ・トゥ・ヘル AC/DC
ギブソンSGを弾きまくる狂乱の小学生アンガス・ヤング。 この後80年代に入ってからも大ヒットアルバムを連発しますが、初期の傑作です。 ダウンアンダーから生まれた世界的ロックバンド、いいですねえ。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

「最後の夜汽車」 甲斐バンド 1977年

2007-01-18

Tag : 甲斐バンド

アルバム「この夜にさよなら」は甲斐よしひろ率いる甲斐バンドの最高傑作だと今でも信じていますが、この名盤の一曲目を飾るのが名曲「最後の夜汽車」です。 夜汽車という言葉そのものが今では死語となってしまいましたが、いきなり心が引き込まれるピアノのイントロで始まるこの曲を聴くと、愛や青春の切なさが痛いほどに伝わってきます。

彼らが一般的に広く認知されるようになってきたのは「HERO」の大ヒットからだと思いますが、「裏切りの街角」あたりから聴いていたファンからするとなんだか違和感があって、できたらあんな曲歌ってほしくなかったなというのが正直な気持ちです。 もともとライブパフォーマンスには定評のあるバンドですからライブを盛り上げるには良い曲かもしれませんが、甲斐よしひろの最も良いところは胸がキュンとなるような切ない曲が書けるところだと思います。

ちなみに以前僕が住んでいた所は彼の実家の近くで、行きつけの中華料理屋のおばちゃんが「今そこで食べよった人は、甲斐よしひろのお父さんよ。」と親切にも教えてくれたことがあります。 まあ、そんな事言われても全然気が付く訳ないんですが、「ほお~」と思ったのを覚えています。 それはともかくロック魂溢れる甲斐よしひろも大好きですが、やっぱり「最後の夜汽車」のようなしんみりくる曲をまた書いて欲しいなと思います。


この夜にさよなら 甲斐バンドこの夜にさよなら 甲斐バンド
「最後の夜汽車」から始まって、名曲満載の甲斐バンド最高傑作。 ジャケットの写真だけは何とかならんかと思いますが、まあこれも70年代っぽくていいでしょう。 ライブではハードに演奏する「きんぽうげ」も良い曲です。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

「さらば恋人」 堺正章 1971年

2007-01-16

Tag : 堺正章

サ・スパイダースのボーカルとして活躍した堺正章は今や芸能界の大御所となり、コミカルな持ち味を生かして「星三つです!」なんて大声をあげたり、恒例の隠し芸大会(まだやってたっけ?)で器用なところを見せつけてくれたりしています。 失礼ながらあの顔に似合わず歌も達者で、70年代に入ってソロ活動を始めてすぐに名曲「さらば恋人」をヒットさせました。

ザ・スパイダースは多彩な人材の宝庫でもあり、大野克夫や井上堯之、そして森山良子のいとこでもあるムッシュかまやつひろしはミュージシャンとしてその後も活躍していますし、サブ・ボーカルの井上順は堺正章よりもさらにコミカルな持ち味で役者としてもいい味を出しています。 リーダーの田邊昭知は、あのタモリも所属する田辺エージェンシーの社長でもあります。 グループサウンズ時代もザ・タイガース同様よい曲が多くて、「夕陽が泣いている」や「あの時君は若かった」などのヒットを連発しました。

「さらば恋人」は、何年か前にハイ・ファイ・セットの山本潤子がCDでカバーしているのを聴いてあらためていい曲だなあと思いました。 もちろん本人にとっても宝物のような持ち歌のはずで、昭和が生んだ名曲のひとつですね。


さらば恋人 堺正章さらば恋人 堺正章
芸能界の大御所、堺正章若き日の名曲「さらば恋人」。 ドーナツ盤という言葉も今や死語になってしまいましたが、なんと懐かしい響きなんでしょう。 レコードの匂いが恋しい今日この頃。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

「危険なふたり」 沢田研二 1973年

2007-01-12

Tag : 沢田研二

僕が小学校高学年の頃はグループサウンズの全盛期でした。 人気があったのがザ・タイガースにザ・スパイダース、ザ・テンプターズの御三家で、もっとも人気があったのがザ・タイガース、そのなかでも一番人気があったのがもちろんボーカルのジュリーこと沢田研二です。 今思えば単に見た目だけの問題だけではなくて、「君だけに愛を」や「シーサイド・バウンド」、「青い鳥」など良い楽曲にも恵まれていたんだなと思います。

71年のグループ解散後も沢田研二は精力的に音楽活動を続け、70年代の終わりから80年代の初め、僕が高校生から大学生の頃はソロ活動の絶頂期でした。 本人のインタビューによると「僕、喉が丈夫なんですよ」との事で、(ちなみに京都育ちなので関西弁)あの独特の声はコンサートで何曲歌っても嗄れることはないらしいです。 シングル「危険なふたり」は高校の頃にヒットした曲で、日本レコード大賞も受賞した名曲です。 これがまたかっこいいんだけど真似して歌うのが難しい。 結構キーが高いし、ジュリーだからかっこいいというのもあるんです。

彼は俳優としても独特の存在感があって、映画「太陽を盗んだ男」や「魔界転生」、「ヒルコ 妖怪ハンター」なんかは面白かった。 ちなみに元同僚の岸辺修三改め岸辺一徳も、北野武の「その男、凶暴につき」の悪役あたりからいい味を出してきて、いまや俳優としても一流となりました。 冒頭にあげたグループサウンズ御三家の残り二人のボーカルもその後芸能界で大活躍していますがショーケンだけはいまだに子供で、素晴らしい個性を持っているのにホントに懲りない人だなあ。(つい最近恐喝事件で訴えられて、現在謹慎中。)


ロイヤル・ストレート・フラッシュ 沢田研二ロイヤル・ストレート・フラッシュ 沢田研二
永遠のアイドル、ジュリーこと沢田研二。 最近はちょっと太ってきたけど、年齢なりにいい味も出してます。 「勝手にしやがれ」「危険なふたり」などヒット曲満載のベスト盤です。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1


「呪われた夜」 イーグルス 1975年

2007-01-08

Tag : イーグルス

ひげ面が似合う、いかにもアメリカのバンドといった感じのイーグルスが名盤「ホテル・カリフォルニア」を発表したのが1976年ですが、その前年にリリースした「呪われた夜」のタイトル曲にはしびれました。 スライドする印象的なベースと切れのいいギター、少し癖があるけれど美しいコーラスとちょっとハスキーなドン・ヘンリーのボーカル。

当時は「ウエストコースト・ロック」というジャンルがあって、イギリスのロックとはまた違った爽やかなイメージで人気がありました。 アメリカ=西海岸、西海岸=パーム・ツリーのような感じで、日本にいる僕たちのひとつの憧れの対象でもあったわけです。 当然のことながらアメリカ人はヒゲと長髪、サングラスとジーンズがよく似合って、しかも高音のボーカルやハーモニーを楽々とこなすバンドがたくさんいて、これもまた音楽好きの若者にはうらやましくもあったんです。

イーグルスは西海岸のバンドの中でも最初はカントリーの風味が強かったんですが、「デスペラード」から「呪われた夜」を経て「ホテル・カリフォルニア」で世界的大ヒットを飛ばすまで、だんだんと洗練されたウエストコースト・ロックのイメージが強くなっていきます。 だけど初期のヒット「テイク・イット・イージー」のようなカラッとした曲はあるもののいつもどこか悲しげで影のある、単純なだけじゃないアメリカが感じられるところが、彼らの人気の源だったんじゃないかと思いますね。


呪われた夜 イーグルス呪われた夜 イーグルス
タイトル曲は彼らにしか出来ない傑作で、この一曲だけでも聴く価値あり。 世紀の名盤「ホテル・カリフォルニア」へと続くイーグルスの代表作です。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

「ゲット・イット・オン」 T.レックス 1971年

2007-01-05

Tag : T.レックス

ハードなポップというかブギーというか、ちょっと中性的なルックスと声で一世を風靡したグラム・ロックのヒーロー、マーク・ボラン率いるT.レックスの傑作にまた「電気の武者」なんていう日本語版タイトルをつけたセンスもなかなかいいと思いますね。 ちょっと甘ったるい声で始まる「ゲット・イット・オン」も、サビの部分でいきなり野太い男らしい声に変わるところがまたかっこいい。

このアルバムの翌年に名作「ジギー・スターダスト」をヒットさせたデビッド・ボウイもバイ・セクシャルな雰囲気で売ってましたが、中性的な雰囲気の中にも男らしいところを感じさせる部分が女の子たちを熱狂させるんでしょう。 これが完全なオカマだったら洒落になりません。 ふたりに共通するのはなかなかの男前だってことですがこれも当然のことで、ニール・ヤングがグラム・ロックをやってたら石を投げられてるところです。

デビッド・ボウイはインタビューで40代の頃は年を取るのが怖かったけれど、50代になった今は人生が楽しい、というようなことを言ってましたが、マーク・ボランは30歳になる直前に自動車事故で死んでしまいました。 ロック・スターの年の取り方にも色々あるけれど、早世した彼はどんな生き方や年の取り方をしたかったんでしょうね。 まだ20代でそんな事これっぽっちも考えてなかったのかも知れませんが。


電気の武者 T.レックス電気の武者 T.レックス
グラム・ロックのヒーロー、マーク・ボランの傑作。 ティラノサウルス・レックスっていうネーミングが素晴らしいじゃありませんか。 名曲「ゲット・イット・オン」収録。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

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Author:music70s
1957年生まれ。
福岡県在住です。

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