「長い夜」 シカゴ 1970年

2007-03-30

Tag :

伝説のカリスマ俳優、故松田優作演じる「工藤ちゃん」がかっこよかった大人気テレビドラマ「探偵物語」のテーマ曲に使われていたのが、芳野藤丸率いるこれも伝説のバンドSHOGUNの「バッド・シティ」です。 「太陽にほえろ!」のジーパン刑事で一躍脚光を浴びることになった優作はどちらかというとコワモテのイメージでしたが、このドラマではコミカルな持ち味を存分に発揮して、成田三樹夫(この人なんと東大中退。)などの名脇役にも恵まれ、ああ、あれはおもしろいドラマだった。

優作がノリノリの演技を見せるドラマにSHOGUNのポップでしゃれた雰囲気の曲がピッタリあっていて、エンディング・テーマの「ロンリー・マン」もいい感じの曲でした。 彼らの曲はメンバーにケーシー・ランキンが入っていたからかどことなく日本人離れした垢抜けたイメージがあって、当時は非常に新鮮な感じがしました。 芳野藤丸はその後女優の石田えりと結婚して、どちらがかは知りませんが刃物を振り回すような大ゲンカを繰り返したあげく離婚しましたが、ミュージシャンとしてセンスがあることには間違いありません。

今では優作の息子ふたりも俳優として活躍するようになり、彼らのオヤジのような世代の僕から見るとなんだか応援したくなりますが、なかなかあの強烈な個性を持った父親を超えるのは難しいのかもしれません。 松田優作の遺作となった映画「ブラック・レイン」での鬼気迫る演技もすごかったけど、過去にクスリで捕まったことのある芳野藤丸といい、世の中に何かを残す人っていうのはどこか常識からはみだしたところがあるような気がします。


ザ・ベリー・ベスト・オブ・シカゴザ・ベリー・ベスト・オブ・シカゴ
ブラス・ロックと言えばやっぱりこのバンド、シカゴが一番最初に出てきます。 分厚い音とコーラスが楽しめるのがいいところなんですが、やっぱり初期の「長い夜」みたいな曲が好き。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

「バッド・シティ」 SHOGUN 1979年

2007-03-27

Tag : SHOGUN

伝説のカリスマ俳優、故松田優作演じる「工藤ちゃん」がかっこよかった大人気テレビドラマ「探偵物語」のテーマ曲に使われていたのが、芳野藤丸率いるこれも伝説のバンドSHOGUNの「バッド・シティ」です。 「太陽にほえろ!」のジーパン刑事で一躍脚光を浴びることになった優作はどちらかというとコワモテのイメージでしたが、このドラマではコミカルな持ち味を存分に発揮して、成田三樹夫(この人なんと東大中退。)などの名脇役にも恵まれ、ああ、あれはおもしろいドラマだった。

優作がノリノリの演技を見せるドラマにSHOGUNのポップでしゃれた雰囲気の曲がピッタリあっていて、エンディング・テーマの「ロンリー・マン」もいい感じの曲でした。 彼らの曲はメンバーにケーシー・ランキンが入っていたからかどことなく日本人離れした垢抜けたイメージがあって、当時は非常に新鮮な感じがしました。 芳野藤丸はその後女優の石田えりと結婚して、どちらがかは知りませんが刃物を振り回すような大ゲンカを繰り返したあげく離婚しましたが、ミュージシャンとしてセンスがあることには間違いありません。

今では優作の息子ふたりも俳優として活躍するようになり、彼らのオヤジのような世代の僕から見るとなんだか応援したくなりますが、なかなかあの強烈な個性を持った父親を超えるのは難しいのかもしれません。 松田優作の遺作となった映画「ブラック・レイン」での鬼気迫る演技もすごかったけど、過去にクスリで捕まったことのある芳野藤丸といい、世の中に何かを残す人っていうのはどこか常識からはみだしたところがあるような気がします。


キープ・オン・プレイング SHOGUNキープ・オン・プレイング SHOGUN
伝説のバンド、SHOGUNの最新アルバム。 ポップで都会的なセンスがタップリ詰まってます。 デビュー当時からなんだかかっこよくて、外国から逆輸入されたような感じでした。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

「オン・ザ・ハイウェイ 」 桑名正博 1978年

2007-03-24

Tag : 桑名正博

なんとなくニヤケた女ったらしのイメージもないではないけど、気さくな大阪のボンボン桑名正博が世間一般に知られるようになったのは、CMにも使われた「セクシャル・バイオレット・No.1」からだったと思いますが、ほんとの名曲は他にもたくさんあって、その中でも僕のお気に入りは隠れた名盤「テキーラ・ムーン」の一曲目、「オン・ザ・ハイウェイ」です。

気持ちの良いリズム・ギターに懐かしくて暖かい印象のキーボード、そしてドラムスに続く是方博邦のギター・ソロがこれまた気持ち良いイントロの部分からもう気分は最高です。 バックコーラスには妹でミュージシャンの桑名晴子も参加していて、故郷へ帰って行く男の心情を桑名正博が適度にかっこよく気持ち良さそうに歌っています。

桑名晴子をライブハウスへ見に行ったとき、ちょうど兄貴の正博もひとりで妹のライブを楽しそうに見ていて、試しに手を振ってみたら「ハ~イ」という感じで気さくに手を振り返してくれました。 前回で取り上げたアン・ルイスとの結婚にはちょっと驚きましたが、二人ともノリがいい分、最初は楽しかったんでしょうね。 分かれた理由までは当然知りませんが、お互いの人生にとって最も楽しい時期が少しでも過ごせたのなら、それでよかったんじゃないかと思います。


テキーラ・ムーン 桑名正博テキーラ・ムーン 桑名正博
言わせてもらえば甲斐よしひろの「ヒーロー」と同じで、「セクシャル・バイオレットNo.1」なんか歌ってほしくなかった。 このアルバムを聴いてから桑名正博を再評価して欲しいものだと思います。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

「グッド・バイ・マイ・ラブ」 アン・ルイス 1974年

2007-03-20

Tag : アン・ルイス

はじけるような笑顔が素敵なアン・ルイスが永い間病気で苦しんでいたのを知った時はちょっとショックでしたが、少しずつ元気になってきているようでホッとしているところです。 彼女が「六本木心中」のようなバリバリの歌謡ロックでブイブイいわしてた頃は誰もが知っていると思いますが、最初のヒット曲は以外にも正統派歌謡曲の「グッド・バイ・マイ・ラブ」でした。

作詞はなかにし礼、作曲は平尾昌晃というこれも正統派の大御所で、ハーフの女の子にこういう曲を歌わせるとおもしろいなあ、なんていう考えがあったのかも知れません。 あの美貌と歌唱力があれば曲さえ良ければヒットするのは当たり前ですが、いつもニコニコして言いたいことをストレートに言うようなところが彼女の魅力で、そんなところが後のロック路線の大ヒットにつながったんだと思います。

同じ歌手の桑名正博と結婚した時は、なんであんなヘラヘラした奴と、とちょっと思いましたが、彼は彼でいいアルバムを残しているので、これはまた次回。 あの笑顔の裏側にはとてもナイーブなところがあるんだなあ、というのが彼女の病名を知ったときの感想ですが、そりゃあ誰でも笑顔だけではいられないところはありますよね。 そんな彼女の、もうひとつのナイーブで優しい顔に似合う曲が「グッド・バイ・マイ・ラブ」だと思います。


アン・ルイス ベストセレクションアン・ルイス ベストセレクション
早く完全復活して、あの素敵な笑顔をもう一度見せてくれるのを待っています。 ロックからバラードまで、彼女の魅力が堪能できる1枚です。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

「 ホイール・イン・ザ・スカイ」 ジャーニー 1978年

2007-03-17

Tag : ジャーニー

耳に付いて離れないニール・ショーンのリフと、スティーブ・ペリーのちょっと喉にからんだような独特のハイトーン・ボイスの2枚看板でヒットしたシングル「 ホイール・イン・ザ・スカイ」は、如何にもジャーニーらしい曲で70年代の終わりから80年代の初めにかけての快進撃を予感させてくれました。 同じ頃に人気のあったボストンやTOTOと並んで、ツェッペリンやディープ・パープルとはまた違った新しいロックをそれぞれ聴かせてくれて、そりゃあ楽しかったですよ。

ニール・ショーンがサンタナのバンドでギターを弾いていたのは19才の頃からだそうで、早熟の天才というか天才だから早熟なんでしょうが、日本が誇るロック・ギタリスト、チャーも言ってましたけど「履歴書なんか書いたことない」人なんでしょうね。 うらやましい。 ジャーニーのヒット曲は今でも耳にすることが多くて、わりと最近では映画「海猿」でもバラード「オープン・アームズ」が使われてました。

彼らのアルバムはジャケットを見るのもまた楽しみのひとつで、バンド名をイメージさせるスケールの大きなイラストも色使いが独特だったし、「エスケイプ」や「フロンティアーズ」のジャケットもかっこよかった。 昔のレコードのサイズだと今のCDみたいなセコいサイズと違って、表・裏、そして開いて中身と、一粒で3度もオイシイところが良かったんです。 眼と耳、両方でたっぷり楽しめたのがレコードの時代のいいところだったなあ。


インフィニティ ジャーニーインフィニティ ジャーニー
早熟天才ギタリスト、ニール・ショーン率いるジャーニーに強力なボーカリスト、スティーブ・ペリーが加わって80年代の快進撃への扉が開きました。 ジャケットも独特な雰囲気でかっこいい。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

「宇宙の彼方へ」 ボストン 1976年

2007-03-14

Tag : ボストン

先日スポーツ新聞を読んでいたら、小さな囲み記事で「ボストンのボーカル、ブラッド・デルプが死亡」という記事が載っていました。 まだ55歳だったそうで、あまりにも若すぎる死はなんだか痛ましい。 70年代の音楽を扱っていれば当然亡くなってしまったミュージシャンも多いわけですが、自分も人生の半ばをとうに過ぎた今、なんだか身につまされます。

トム・ショルツのいわばワンマン・バンド「ボストン」のデビューアルバム、日本語タイトル「幻想飛行」のA面の一曲目「宇宙の彼方へ」は、すこぶる気持ちのよい練り上げられたギターサウンドと、ブラッド・デルプのどこまでも伸びていくボーカルがタイトルにぴったりの名曲でした。 この曲をライブで再現しようと思ってもなかなか難しいんじゃないかと思いますが、アルバムを創るのも一作目を超えようとするのはなかなか大変だったようで、まあアルバムをリリースするのに時間のかかる事。

セカンド・アルバム「ドント・ルック・バック」は、あまり時間をおかずに発表されてまた大ヒットしましたがその後が大変で、トムの完璧主義がリリースを遅らせたんでしょうかね。 あの心地よい音色のギターサウンドにはやっぱりブラッド・デルプのような楽器並みのボーカルが必要不可欠だったのだと思いますが、今となってはあの優しい髭面が懐かしい。 謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。


幻想飛行 ボストン幻想飛行 ボストン
緻密に練り上げられた完璧なギターサウンドが心地よい70年代アメリカン・ロックの名盤。 トム・ショルツ率いるボストンの、デビュー作にして最高傑作だと思います。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

「ホールド・ザ・ライン」 TOTO 1978年

2007-03-11

Tag : TOTO

ボズ・スキャッグスやスティーリー・ダンなど、数々の有名ミュージシャン達のバックで活躍してきた腕利きメンバーを集めて結成されたTOTOのファースト・アルバムは、飛び上がるくらいかっこよかった。 その中でもシングルヒットした「ホールド・ザ・ライン」は、変拍子のピアノとハードに響くギター、ハイトーンのボーカルとコーラス、どれをとっても僕の好みで早くセカンド・アルバムが出ないかな、というウキウキした気持ちになったものです。

メンバーの中でもスティーブ・ルカサーのうねりまくるギターと、亡くなってしまったのが今でも残念でならないジェフ・ポーカロの切れのいいドラムスが最高に気に入ってたんですが、楽しみにしていたセカンド・アルバム「ハイドラ」からグラミー賞を受賞した「TOTO IV」まで、彼らの全盛期のアルバムの中で今でも一番のお気に入りは、やっぱりこの「ホールド・ザ・ライン」が収められているファースト・アルバムです。

この曲の他にも名曲が目白押しで、この一枚のレコードの中に作曲や演奏・ボーカルなどの技量の高さ、彼らの才能のすべてが詰まっていたと言っていいんじゃないかと思います。 学生時代にちょっとエレキ・ギターもかじっていた僕はルカサーみたいなかっこいいソロが弾けたらいいな、と思いながら当然弾けるわけもなく、ジェフみたいなドラムが叩けたらいいなあ、と思っていたドラマーもプロ・アマ問わずたくさんいた筈です。 才能のあるスタジオ・ミュージシャンを集めて結成されたバンドは「スタッフ」もそうですが、相乗効果でさらに凄いことになるんだなあ、というのがよく分かりますね。


宇宙の騎士 TOTO宇宙の騎士 TOTO
凄腕スタジオ・ミュージシャンが集合したTOTOのファースト・アルバム。 各メンバーのテクニックの高さが数々の名曲とともに堪能できます。 個人的にはIVよりもこちらを推したいですね。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

「南海航路」 カルメン・マキ&OZ 1977年

2007-03-08

「MAKI ANNETEE LOVELACE」という素敵な名前が日米のハーフ、カルメン・マキの本名だそうです。 現在は日本国籍を取得されているそうですが70年代の日本にこんなロックの女王がいたという事を、ぜひ若い人たちにも知っていただきたい。 昨晩パソコンでたまたまサード・アルバムの一曲目「南海航路」という曲を試聴してみたら、懐かしくて不覚にも泣きそうになってしまいました。

アコースティック・ギターの気持ちのいいイントロから始まる、いわゆるロックとは違うゆったりとした曲ですが、初めてこの歌を聴いた当時のホロ苦い思い出などが蘇ってきて、年をとると涙もろくなるというのは本当だなと最近つくづく思います。 さて、「時には母のない子のように」というちょっと暗い曲で有名になった彼女がいきなりギンギンのロックを始めたのには驚きましたが、これがまたなんとかっこ良かったことか。

春日博文の重たく粘るけど気持ちの良いギターと予想外にへヴィーなカルメン・マキのボーカルがぴったり合って、後にいろいろなミュージシャンがカバーした「私は風」など数々の名曲を生み出しましたが、残念なことにたった3枚のアルバムと、バンドが終わった後に発表されたライブ・アルバムのみを残して解散してしまいました。 いずれも名盤なので、知らない人は是非聴いてみていただきたいと思います。


カルメン・マキ&OZ Ⅲカルメン・マキ&OZ Ⅲ
70年代の日本にロックの女王がいたんです。 このアルバムでは抑え気味ですが、ライブで聴く「とりあえずロックンロール」は最高にかっこいい。 他にも名曲揃いの名盤です。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

「ブルー」 渡辺真知子 1978年

2007-03-06

圧倒的な声量と歌唱力を誇る渡辺真知子ですが、1977年のデビュー曲「迷い道」はどちらかというと押さえ気味なボーカルで、「迷い道クネクネ」という歌詞が印象的な名曲でした。 その後「かもめが翔んだ日」でまたもや大ヒットを飛ばし、次にリリースしたシングルが僕の好きな「ブルー」です。

この曲は出だしの「あなたは優しい眼 だけどとってもブルー」という歌詞が素敵で、明るいだけじゃなくてこんな恋もあるよなあ、などと勝手に同情してしまうと言うか、感情移入してしまうところがあるんですね。 いや、僕もちょっと繊細なものですから。 静かな出だしから後半は切なく盛り上がるところがまたいいんですが、こういうちょっとお洒落な曲っていいですよねえ。

彼女の実力がさらに明らかになるのが確か化粧品のCMにも使われた80年の「唇よ、熱く君を語れ」ですが、今の季節にぴったりの明るくしかも豪快な曲でした。 素晴らしい歌唱力をフルに発揮した名曲でしたが彼女にはどことなく寂しげなところがあるような気がして、やはり僕にとってのベストは「ブルー」です。 今や立派なオバサンとなった渡辺真知子ですが、人生の浮き沈みを乗り越えてもちろんあの歌唱力は健在です。 僕とほぼ同世代なので、やっぱり応援したくなりますね。


渡辺真知子 ゴールデン J-POP THE BEST渡辺真知子 ゴールデン J-POP THE BEST
昔からちょっとオバサンっぽいところがある渡辺真知子ですが、歌唱力は折り紙付です。 デビュー当初から名曲にも恵まれ、現在も活躍中。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

「セクシィ」 下田逸郎 1976年

2007-03-03

Tag : 下田逸郎

ゆったりとしたリズムに、それこそ夜に溶けてゆきそうなボーカルが優しい下田逸郎の「セクシィ」は、これぞ大人の男が歌いたくなる名曲です。 最近のアップテンポでわけのわからん歌詞をギュウギュウに詰め込みすぎの曲を聞き飽きた耳には、心地良い事この上ありません。 「子供みたいに笑うあなたが」急に黙ったからセクシーだなんて、あなた言えますか?

まあデートの時なんかに直接言ってしまってはせっかくのムードもぶち壊しですが、彼女の耳に届かないところでひとり静かに歌ってあげたら、届かぬ思いもいずれは叶うんじゃないかと夢想したくなりますね。 女性にモテる奴にも色々いるでしょうが、こういう詩を書ける奴なら、まあ許してやろうかという気にもなるというものです。

下田逸郎はどちらかといえばディープでコアなファンが多いタイプだと思いますが、この人はあの「東京キッドブラザーズ」の音楽監督もやっていたんだそうで、やっぱりプロっていうのはプロの仕事をするんだなあと当たり前ですが思います。 ファンの皆さんはできれば一般受けすることなく、いつまでも自分だけの下田逸郎でいて欲しいと思ってるんじゃないでしょうか。


GOLDEN J-POP/THE BEST 下田逸郎GOLDEN J-POP/THE BEST 下田逸郎
この男前振りを見よ!若い頃から大人の音楽をやってたっていう雰囲気でしょう。 名曲「セクシィ」を聴いて夜の世界に浸りましょう。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.1

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Author:music70s
1957年生まれ。
福岡県在住です。

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