「ブレックファスト・イン・アメリカ」 スーパートランプ 1979年

2007-04-30

なんだか頼りないけど切ない歌声がメロディーにマッチしたタイトル曲やアルバムジャケットの秀逸な出来栄えで、アメリカのヒットチャートNo.1に輝いたスーパートランプの「ブレックファスト・イン・アメリカ」は、今思えば短かった大学生活の最後の年にヒットしました。 ちゃらんぽらんで楽しかった学生生活も、もうすぐ終わりだなあという感傷的な気分に、セピア色のフィルムがカタカタ回っているようで、スリードッグナイトの「オールド・ファッションド・ラブ・ソング」に通じるようなメロディが染みこんで、今でもあの頃の気分が懐かしくなってきます。

まあ、学生なんて社会人から見れば気楽でどうでもいいような存在かもしれませんが、あろうことか会社の近くに私立の某大学があって、4月からは新入生で通勤バスの中が満員で、まあうっとうしいやら羨ましいやら。 ちょうど入学して1ヶ月ほどでキャンパスにも慣れ、新しい友人もたくさん出来て、ゴールデンウィークに入って天候もいいし、彼らにとっては今が一番楽しい季節でしょう。 まあ、自分もそうでしたから。

僕が大学に入学した年はあの映画「ロッキー」第1作めがヒットして、一緒に見に行った友人はラストシーンで泣いてましたが、また今になって何作目か知らないけど「ロッキー」を制作するとは、スタローンもちょっと考えたほうが良かったんじゃないか。 それはともかく、季節とともに名曲が頭の中に浮かんできて懐かしい時代を思い出せるのは、年を重ねた者にのみ許される特権だと思います。


ブレックファスト・イン・アメリカ スーパートランプブレックファスト・イン・アメリカ スーパートランプ
このジャケットの冴えを見よ! ユーモラスなんだけどタイトル曲は郷愁を誘う名曲。 このウェイトレスのオバチャンが外人から見たアメリカか。 陽気で単純なアメリカ、確かにそんな気がする。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

「あずさ2号」 狩人 1977年

2007-04-28

Tag : 狩人

「狩人解散」という記事を新聞で見つけて、おお、まだ活動しておったか!と思ってしまいましたが、大ヒット曲「あずさ2号」からもう30年、早いものですなあ。 狩人は加藤久仁彦と高道の兄弟デュオで、当時弟の高道君はまだ17歳だったそうです。 なんでも今後お兄さんは格闘家を目指し、弟は「派遣歌手」をやるとかで、とにかく同世代としては頑張ってもらいたい。 ちなみにオフィシャル・ホームページに兄・久仁彦の特技は腕立て伏せ1000回とあって、ちょっと笑ってしまいました。

昔の写真を見ると、なんだか二人ともホストみたいな雰囲気ですが歌唱力は抜群で、当時のヒット・メーカーでもあり師匠でもある都倉俊一作曲の「あずさ2号」は、悲しい別れの曲なんだけどサビの部分で力強く盛り上がって、それでもやっぱり哀愁が漂っているところが素敵な曲でした。 交互に歌ってハモッてというスタイルもかっこよくて、二人ともハンサムでしたから人気が出るのも当然の事だったと思います。

しかしあまりにも最初にヒットしたこの歌のインパクトが強すぎてその後の印象が薄かったのが残念でしたが、それでも粘り強く活動を続けていたのが、一発当てると長続きする歌謡界のいいところです。 カラオケ自慢の男性で40代から50代の方がふたり揃うと、きっとこの曲を歌いたくなるんじゃないかと思いますが、残念ながらいまだにそんなシーンにお目にかかったことがありません。 歌が上手けりゃ自分ひとりでも歌うんだけど。


究極のベスト! 狩人究極のベスト! 狩人
兄弟揃ってハンサムで歌がうまいって出来過ぎじゃないのかと思うけど、なんだか暗くて寂しげな雰囲気が漂っていたのが印象的。 まあ、「あずさ2号」をニコニコしながら歌うわけにもいかないしね。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

「ベイブ」 スティクス 1979年

2007-04-22

Tag : スティクス

デニス・デ・ヤングがちょっと甲高い独特な声で歌い上げるバラード「ベイブ」は、70年代のスティクス最大のヒット曲となりました。 アルバム「コーナーストーン」は、ポップな曲とハードな曲が交互に収められて聴くものを飽きさせず、神秘的な雰囲気を持ったジャケットと共にいまでも記憶に残る名盤です。

80年代に入ってから「ドモアリガートMr.ロボット」を連発するナンバーがヒットしてしまい、彼らもどうかしてしまったんじゃないかと心配しましたが、案の定ここからスティクスは下降線をたどっていきます。 ベイビーフェイスの男前トミー・ショウやメイン・ボーカルのデニス・デ・ヤングらの個性がうまく噛み合っていたのが70年代の後半から80年代最初のアルバム「パラダイス・シアター」までだったんですが、バンドの寿命っていうのはわからないものです。

そういえば確か「ベイブ」のプロモーション・ビデオはプールに女の子が飛び込む美しい映像が記憶に残っていますが、キーボードのイントロからあのボーカルが入るところ、それから中盤のサビの部分のコーラスが綺麗で、彼らをアメリカン・プログレッシブ・ロック・バンドとして見ていた古くからのファンには意外な驚きだったようですが、まあ名曲は名曲なんだからジャンル分けにこだわることはないんじゃないかと思いますね。



コーナーストーン スティクスコーナーストーン スティクス
70年代の終わりに生まれたスティクスの名盤「コーナーストーン」、どの曲を取っても捨てがたい。 大ヒットナンバー「ベイブ」のプロモーション・ビデオも、MTVの隆盛を先取りしてました。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

「ロンドン行き最終列車」 エレクトリック・ライト・オーケストラ 1979年

2007-04-18

パフィーを最初に聴いたとき、なんとなくELOみたいだなあと思ったらプロデュースした奥田民夫はビートルズやELOが好きで、ELOのリーダー、ジェフ・リンもビートルズが大好きで、後にジョージ・ハリソンとも共演したくらいですから、ポップスの王道繋がりでこうなったんだなあと納得しました。 パフィーの曲にはビートルズのナンバーから間奏を堂々と(デイ・トリッパーです。)パクったのもありますが、まあ、あれくらいは遊び心で許されるんでしょう。

1979年に発表されたエレクトリック・ライト・オーケストラの名盤「ディスカバリー」はそれこそ全曲シングル・カットしてもよいくらいの傑作で、ジェフ・リンのポップなセンスが全編にちりばめられています。 近年テレビドラマ「電車男」のオープニングにELOの「トワイライト」がいきなり流れたのを聴いたときは、テレビ局にもセンスのいい奴がいるもんだなと感心しましたが、ジェフのセンスや感性は今でも十分通用するってことですね。

全曲シングルカット可なわけですから今回はどの曲を取り上げてもよかったんですが、「オーケストラ」の名にふさわしいアレンジと、実はオープニングに感心しただけでドラマそのものは一回も見たことがないけど、「電車男」のオープニングにはこの曲も迷ったんじゃないかと思ったので名曲「ラスト・トレイン・トゥ・ロンドン」を選んでみました。 彼らには他にも名盤があるので、またそのうちこのブログにも出てくると思います。


ディスカバリー エレクトリック・ライト・オーケストラディスカバリー エレクトリック・ライト・オーケストラ
これぞポップスの玉手箱。 別にフタを開けたからって急に老け込むわけではなく、それどころか一気に若い頃にタイム・スリップできます。 ジェフ・リン率いるELOの名盤。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

「男どうし」 杉田二郎 1975年

2007-04-14

ちょっといかつい顔からは想像もつかない優しい歌声で、いつも堂々と愛や友情を歌い上げるのが、この人のいいところです。 杉田二郎は学生時代に結成したジローズで、今や永遠の輝きを放つ名曲となった「戦争を知らない子供たち」を大ヒットさせますが、フォーク・クルセダーズ同様学生だったこともあってか短い活動期間で解散してしまいます。

その後、はしだのりひこと一緒にシューベルツで「風」をまたまたヒットさせ、ソロになってから初めてのヒット曲が今回の「男どうし」です。 久しぶりにあった友人と、「昔のように語り明かそうよ」といかにも楽しそうに歌い上げているのが気持ちよくて、大学の下宿でもこの曲を友人たちと一緒に歌ったりしてました。 当時住んでいたところは大学の裏手にある下宿街のようなところで、夜中どころか朝まで飲んで歌って大騒ぎしてもまったく怒られたりしませんでしたから、今では考えられない贅沢だったのかもしれません。

ちょっとした騒音がもとですぐトラブルになる昨今と違い、大家さんや近所の皆さんも太っ腹というか懐が広いというか、ほんとに懐かしい良い時代だったなあ。 その後引っ越した先のアパートでは怖いオッサンに怒鳴り込まれたりして、世の中の厳しさを少しは知ることになりましたが、またあの頃のように皆で集まって「男どうし」なんかを歌ったら楽しいだろうなあと、最近つくづく思います。


題名のない愛の唄 杉田二郎題名のない愛の唄 杉田二郎
一見いかついネアンデルタール系というか、純和風の顔立ちに似合わぬ優しい歌声と、関西人らしいユーモア、僕はこのおっさんが好きです。 「愛」の似合う男だと思うけどなあ。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

「花嫁」 はしだのりひことクライマックス 1971年

2007-04-11

若い頃の写真を見ると、ん、この人雨上がり決死隊の蛍ちゃんか?と思うくらいよく似ているのが伝説の1年限定グループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」でデビューした、はしだのりひこです。 前回の山本コウタローが「厚太郎」ならこの人は「端田宣彦」だそうで、これはやっぱりひらがなの方が正解でしょう。 クルセダーズは元々関西の大学生が集まって歌い始めたアマチュア・バンドだったんですが、レコード会社に目をつけられてそれじゃあ1年だけ、という条件でプロ活動をやったんだそうです。

メンバーのひとり、はしだのりひこはその後シューベルツ、クライマックス、そしてエンドレスと、次々とバンドを結成しては解散を繰り返し、シューベルツ時代の「風」と並ぶ最大のヒット曲が「花嫁」です。 伸びのある女性のボーカルで「花嫁は夜汽車に乗って嫁いでゆくの・・・」と始まる名曲なんですが、今では夜汽車という言葉自体が珍しいし、夜汽車に乗って嫁いでゆくなんて、なにか事情でもあったのかといらん心配もしたくなります。

しかも歌詞は「命かけて燃えた恋が報われる」と続くんですから、ああ、やっぱりなにか事情があったんだな、でも結ばれて良かったよな、と勝手にホッとするわけなんですが、短い曲の中にも聴くものの想像力を刺激するメロディーと歌詞が詰まっていたのが70年代の歌のいいところです。 何をどう想像するかはそりゃあ聴く人の勝手なんですが、ノリのよいリズムとメロディーだけでは永く愛される歌になるのは難しいと思いますね。


はしだのりひこ メモリアルベストはしだのりひこ メモリアルベスト
目立たないけどいい味出すタイプの人。 フォーク・クルセダーズで、ある種の音楽革命にも参加したんです。 「帰ってきたヨッパライ」を君は知っているか? 最初に聞いたときは笑った。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

「岬めぐり」 山本コウタローとウィークエンド 1974年

2007-04-08

山本コウタローの「コウタロー」は漢字で書くと「厚太郎」だそうで、これはカタカナにしたのが正解だと思います。 名曲「岬めぐり」は彼の素朴な歌声に岬の美しいけれど悲しい風景が目に浮かんでくる、ちょうど今頃、春のボワーッとした季節に合ういい曲です。 僕が高校生の時に大ヒットして、確か修学旅行のバスの中でも皆で歌ったような覚えがあります。 余計なお世話かもしれませんが、修学旅行は海外なんか行かなくても国内で充分。 要はどんな思い出が残るかじゃないでしょうか。

山本コウタローは名門都立日比谷高校から上智を経て一橋大へと進んだ秀才で、現在では大学で教鞭も取っているんだそうです。 とても男前だとは言えませんが、ユーモアのある人柄と美声じゃないけど暖かい歌声で、そんな彼がうまくいかなかった恋の思い出を「岬めぐり」で歌うからヒットしたんだと思います。 まあ、実際のところは曲がヒットしてからどんな人かっていうのが世間に広まってくるんだと思いますが。

彼は他にも「走れコウタロー」というヒットを飛ばしてるんですが、これは吉田拓郎の小品ながら珠玉の出来栄えの名曲「馬」にも通じるところがあって笑わせてくれました。 さて、出会いと別れの季節でもある春は名曲が生まれる季節でもあると思うんですが、なぜか春の歌でもないのに「岬めぐり」が頭に浮かんできて今回取り上げてみました。 景色のいい場所で幸せそうな人たちもいるのに、自分はひとりで彼女がいつか話してくれた思い出の場所を旅している、そんな切ない気持ちになんとなく共感を覚えます。


岬めぐり 山本コウタロー&ウィークエンド岬めぐり 山本コウタロー&ウィークエンド
旅する男が実らぬ恋の思い出を歌う「岬めぐり」、これを美男でも美声でもない山本コウタローが歌うのがいいんです。 何だかひとりで旅に出たくなる思い出の名曲。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

「宇宙のファンタジー」 アース・ウィンド&ファイアー 1977年

2007-04-05

黒人らしいファンキーなノリやグルーブ感で70年代に絶大な人気を誇ったアース・ウィンド&ファイアーは、77年のアルバム「太陽神」を経て、80年代に入ってからも快進撃を続けました。 しかしやはりEW&Fといえばこの曲、「宇宙のファンタジー」が頭に浮かんできます。 ゴージャスな感じさえ与えるホーン・セクションと、ボーカルでリーダーのモーリス・ホワイト、ファルセット・ボイスが売り物のフィリップ・ベイリーの2枚看板で心地よい気分にさせてくれる彼らならではの名曲です。

日本が誇るアーチスト長岡秀星のジャケットも素晴らしかったけど、なんと言っても彼らを一言で表すなら「ゴージャス」という単語がふさわしいと思います。 キンキラキンのド派手な衣装が何の違和感もなく似合うのもかっこいいし、ステージの上で大勢で騒いでるように見えるのがまた何ともお祭りみたいで楽しくなってくるんです。 これが仮に故ジェームズ・ブラウンだったとしてもやっぱり後ろに大勢のバック・バンドやダンサーを従えてるのがサマになるし、語弊があるのかもしれませんが黒人は大勢で騒いでるのが似合ってるし、見てるほうも楽しくなってきます。

お祭り騒ぎこそがブラック・ミュージックの陽の部分だとすれば、ひたすらグチをこぼしたり文句を言ったりするブルースやラップが影の部分なんでしょうか。 どちらにせよ独特のリズム感やグルーブ感で人種の違う白人や僕たち日本人を惹きつける魅力があることに変わりはありません。 あのディスコ・ブームの時だってブラック・ミュージックに乗って皆さん踊りまくったじゃありませんか。 ちなみにディスコでロックに乗って踊るのも楽しかったけど、ロックだって元をたどれば彼らの音楽に行き着く訳ですから。 ひょっとして人類のルーツと同じように、音楽のルーツってアフリカにあるのか?


太陽神 アース・ウィンド&ファイアー太陽神 アース・ウィンド&ファイアー
アース・ウィンド&ファイアー絶頂期の名盤。 大ヒット「宇宙のファンタジー」を始め、EW&Fの魅力がたっぷり楽しめます。 ノリの良いグルーブ感は黒人ならではのものか。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

「黒い炎」 チェイス 1971年

2007-04-02

Tag : チェイス

前回がシカゴだったら今回はチェイスとくるのが自然な流れだろうと思ったので、唯一最大のヒット曲「黒い炎」が当然出てきます。 ちょっと野蛮で荒削りな感じのダミ声のボーカルと、こめかみの血管が破れそうなのが目に浮かぶくらいハイテンションの高音で吹きまくるトランペットがグイグイと聴く者を引っ張っていくような感じで、いやあ、これぞブラス・ロック!という名曲でした。

ブラス・セクションはサックスやトロンボーンなしのトランペット4本という編成のバンドだったそうで、道理であのキンキンくるような凄まじいまでの高音が前面に出てくるわけです。 一度日野皓正のライブを観たことがありますが、トランペットを吹くと首の両側がブワッと膨れ上がるのを見てびっくりしました。 金属でできた楽器を鳴らそうと思ったら、ああいう風になるんだなと感心したものです。

チェイスは残念ながらツアー中の飛行機事故でメンバーのうち4人もが亡くなってしまい、短い活動期間に終止符を打つことになりましたが、この「黒い炎」によって永遠にロックや音楽が好きな僕たちの心の中に名を刻むことになりました。 しかし、せっかくこれからという時にプツッと終わってしまうなんて、人生って儚いもんだなあ。


追跡 チェイス追跡 チェイス
ハイテンションなトランペットとワイルドなボーカルで大ヒットした「黒い炎」は、70年代ブラス・ロックの頂点に立つ名曲です。 でも活動期間が短すぎたよなあ。 残念。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.2

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Author:music70s
1957年生まれ。
福岡県在住です。

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