「真夏の出来事」 平山三紀 1971年

2007-08-30

Tag : 平山三紀

出張で初めて行った街で、ちょっとドキドキしながら入ったカウンターだけのスナックには客が誰もいなくて、タバコを優雅に指に挟んだこの人が低い声でちょっと微笑みながら「いらっしゃい」なんて言ってくれるとゾクッとしそうなのが平山三紀です。 いかん、また妄想が膨らんでしまった。

いいかげん勘弁してほしいなと思うくらいの暑さもちょっと和らいできたところで、本格的に涼しくなる前に今回は名曲「真夏の出来事」で行こうと思います。 彼女の声は従来の歌謡曲にはない、ましてや演歌なんてとんでもない低くてちょっとベタ~ッとした独特の味わいを持っています。 どちらかというとシャンソンなんかが声質に合っているんじゃないかと思いますが、この声に筒美京平がピッタリとはまるメロディーを提供してくれました。 声が先だったのか曲が先だったのかは知りませんが、多分前者じゃないかと思いますね。

以前桑田佳祐が、自分のお気に入りの曲ばかり歌う企画でこの曲を取り上げていましたが、彼のちょっとハスキーな声にも「真夏の出来事」はピッタリとはまっていました。 要するに名曲は誰が歌っても名曲だってことなんでしょうけど、さすがは桑田君、選曲のセンスも素晴らしい。 平山三紀は「いちご白書をもう一度」のばんばひろふみと一時は結婚してたんですが、何年か前に別れてしまいました。 よくある事ですが、ふたりの代表曲のイメージがまったく違ったのも離婚の原因か?


ドーナツ盤メモリー~真夏の出来事 平山三紀ドーナツ盤メモリー~真夏の出来事 平山三紀
いい雰囲気のジャケットですね~。 「平山三紀」と「真夏の出来事」と「ドーナツ盤」で3回懐かしい企画です。 昭和の大人の女というのは、こういう顔をしてました。

「風のシルエット」 ボビー・コールドウェル 1978年

2007-08-28

先日いい年をして映画「トランスフォーマー」を観に行ったら、主人公が彼女に逃げられそうになるシーンで、前回取り上げた「ベイビー・カム・バック」が流れてきて笑ってしまった。 しかしこの映画に限らず最近の洋画は確かにCGは凄いけど、テンポが速すぎてちょっと疲れます。 しかも子供用のオモチャの映画化でしょ? 個人的には「殺人者たち」みたいなCGなんぞ無くても楽しめる、大人の映画はもう撮れないのかと思ってしまう。

それはともかく、BGMっていうのは重要だなあと思った映画のワンシーンでしたが、雰囲気をしっとりと盛り上げるなら、ボビー・コールドウェルが一時は必殺技でした。 デビュー作「イヴニング・スキャンダル」はちょっと大袈裟なタイトルでしたが、これでもかと言わんばかりの名曲揃いの名盤で、なかでもキラー・チューンは「風のシルエット」です。 なんだか紹介の仕方がラジオのDJみたいになってきた。

ちょっと失礼ですが真面目な顔をしててもなんだかニヤケているような甘いマスクと、これもちょっと甘い独特の声、だけどなんと言ってもこの人は曲作りのセンスが素晴らしい。 デビュー・アルバムでこんなにいい曲たくさん入れちゃったら次から困るんじゃないかと思ったらそうでもなくて、センスの良さが光るジャケットと楽曲で80年代へとなだれ込んでいきました。 正直言うと今日急に彼の事を思い出したんですが、確かに才能のあるミュージシャンだなあとあらためて思いましたね。


イブニング・スキャンダル ボビー・コールドウェルイブニング・スキャンダル ボビー・コールドウェル
ジャケットも中身もお洒落。 「風のシルエット」はじめ名曲ぞろいのボビー・コールドウェル必聴デビュー作です。 しかしセンスのある人だなあ。

「ベイビー・カム・バック」 プレイヤー 1978年

2007-08-25

前回の「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」では、ピーター・フランプトンを一発屋とか言うなと勝手にクギを刺しときましたが、この人たちは一発屋と言ってしまおうかなと思うくらい他の曲のことを知らないのが、今回紹介するプレイヤー、曲はもちろん「ベイビー・カム・バック」です。 当時ボズ・スキャッグスが脚光を浴びて懐かしいAORブームが到来してたんですが、プレイヤーもジャンル分けするならここに入るんでしょう。

小洒落たアレンジにソフトなボーカルと綺麗なハイトーンのバックコーラス、サビの部分の切ないメロディーと素敵なハーモニーで全米No.1を獲得したこの曲は、当時の音楽好きなら誰もが一度は耳にしたことがある名曲です。 雑誌「プレイヤー」だったか「ミュージックライフ」だったかもう忘れてしまいましたが、彼らのステージを撮った写真がかっこよかったのが記憶に残っていますが、薄情なことにメンバーの名前も誰ひとり知らないまま月日が経ってしまいまいした。

さて、70年代が終わりに近づいてハードロックの衰退とともに訪れたAORブームでしたが、個人的にはどちらも好きなので流行ろうが廃ろうが関係ありません。 ただ、ハードロックだと元気な記憶が、AORだと甘い記憶が蘇るような気がするのは、やっぱり年のせいかしら?


ベイビー・カムバック プレイヤーベイビー・カムバック プレイヤー
素敵な曲ですが、この曲しか知らない。 サビの部分のメロディーとコーラスが素敵な「ベイビー・カム・バック」収録のベストアルバム。

「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」 ピーター・フランプトン 1976年

2007-08-21

彼のことを一発屋などと言うのは、ちょっとどうかと思う。 ピーター・フランプトンがハンブル・パイ脱退後にソロ活動を始め、最初に飛ばした大ヒットアルバムが「フランプトン・カムズ・アライブ」で、全世界で一千万枚を超える売上げを記録して、その後これ以上のヒット作がなかったものだからそんな言われ方をする事もあるんですが、それだけだって充分じゃないですか。

ジャケットの彼は恍惚の表情を浮かべているようにも見えますが、全編を通してリズム・ギターが気持ちの良いこのアルバムで、ひょっとしたら大観衆を前に本当に恍惚の瞬間があったのかも知れません。 中でも白眉は「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」で、ジェフ・ベックも使ったトーキング・モジュレーターを使用したイントロと心地よく響くリズム・ギター、ベイビー・フェイスに似合わないハスキーなボーカル、サビの部分の切ないメロディー、どこを取っても言うことなしの名曲・名演です。

その後はヒットにも恵まれず、事故にあったりなんだかんだと不遇の時期を過ごしたようですが、それがどうした。 今でもこのアルバムや彼のことを愛するファンは世界中にたくさんいるだろうし、忘れた頃に「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」がどこかで流れてきたりすると、胸がキュンとなる瞬間があるのは、彼のおかげです。 長い間コンスタントに活躍するのは難しいことなんだろうなあと思いますが、それでも一瞬の光がいつまでも多くの人の心を照らし続けるって言うのは、スゴイことだと思いますね。


フランプトン・カムズ・アライブ! ピーター・フランプトンフランプトン・カムズ・アライブ! ピーター・フランプトン
2枚組みのライブ・アルバムがなんと1千万枚を超えるセールスを記録したなんて、今ではちょっと信じられません。 ピーター・フランプトン渾身の名演です。

「孤独の旅路」 ニール・ヤング 1972年

2007-08-17

こっちを向いているのに、どこを見ているのか分からないようなところがなんだかコワイのが今回取り上げるニール・ヤングです。 あのちょっと震えるような声で歌う名曲「孤独の旅路」は、哀愁漂うアコースティック・ギターのイントロに思わず耳を澄ませてしまうようなところがあって引き込まれますね。

仲間と陽気にビールでも飲みながらワイワイやってるのがカントリーを生んだアメリカのイメージですが、そもそもこの人はカナダの生まれだそうで、やっぱりカナダのほうがアメリカよりもおとなしいのかしらん。 よく知らんけど。 まあ出自はともかく、どこか山奥に引きこもった世捨て人みたいな雰囲気を持っているのが、この人の魅力かも知れません。

その引きこもりのオッサンがエレキを持っても似合うのがまた妙にかっこよくて、見た目がどうこうよりも自分が何をしたいか、何を言いたいかがやっぱり重要って事でしょう。 歌舞伎町かどこかの歓楽街のゴミの山の横で、いきなりカピカピのレゲエのおじさんがギターの弾き語りを始めたらひょっとしてかっこいいかも知れない。 別にニール・ヤングがそうとは言ってないし、レゲエのおじさんが悪いとも言ってないので、念のため。


ハーベスト ニール・ヤングハーベスト ニール・ヤング
山登りやハイキングにいってこの人に遭ったらちょっとコワイ。 ちょっと見は酒乱かヤク中、中身は詩人。 大ヒット「孤独の旅路」を含む傑作アルバムです。

「祝100回記念」 数えてみたらもう100回

2007-08-14

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去年の10月に書き始めたこのブログも、前回のレオン・ラッセルでもう100回。 だいたい3~4日に一度のペースで更新を続けてきましたが、ちょっと区切りのいいところで総括、というと昔の過激な学生運動みたいなので、これまでを簡単に振り返ってみたいと思います。

先日作詞家の阿久悠が亡くなってしみじみと思いましたが、ちょうど昭和のど真ん中、西暦でいうと1957年生まれの僕は運の良いことに歌謡曲やポップス、フォークソング、そしてロックの黄金時代に青春を過ごすことができました。 もともと音楽や映画に小説が大好きで、何かブログの題材がないかと思って、これならネタ切れの心配がないから安心、と始めたのがこの「70年代思い出の名曲」です。

書き始めてみたら嬉しい事に、さあ、次は何を書こうかというのが日々の元気の元になってますが、80年代さえセピア色になりかけてきた今、昔の記憶がだいぶぼやけてきてるのに愕然とする事もあります。 しかしそれはそれで、忘れてたことやはっきりしないことを調べるという行為がまた楽しくもあります。

さて、ブログ右下のカウンターをご覧いただければお分かりのように、今のところそんなにアクセスが多いという訳ではありませんが、それでも書いたからには誰かに見てもらいたいというのが人情で、訪れていただいた皆さんには本当に感謝しております。

アクセス解析によると検索語句で一番多いのが、当然ながら「名曲」と「70年代」、アーチスト別だと1位は「沢田研二」、2位が「ビリー・ジョエル」、3位は「中村雅俊」。 曲名だと「ただお前がいい」、「ウィー・アー・オール・アローン」、「素顔のままで」の順となっております。 検索エンジンは圧倒的にヤフーが多くて次点がグーグル、このふたつでほぼ9割を占めてます。 

アマゾンからの収入も今のところはたいしたことはありませんが、それでも自分が取り上げたミュージシャンのCDが売れてたりすると嬉しいものです。 ともあれ、まだまだ70年代の名曲は星の数ほどありますから、これからも楽しみながら更新を続けたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。


青春歌年鑑 70年代総集編青春歌年鑑 70年代総集編
めでたく100回を迎えたので、今回のおすすめは70年代総集編。 皆さんの懐かしい思い出が、あちこちに詰まってると思いますよ。

「ソング・フォー・ユー」 レオン・ラッセル 1970年

2007-08-10

眼光鋭いヒゲ面になんだか知的な雰囲気もあるこの男、レオン・ラッセルは70年のデビュー当時には既に大物の風格を漂わせていまいた。 デビュー・アルバム「レオン・ラッセル」にはエリック・クラプトンやスティーヴ・ウィンウッド、それにローリング・ストーンズのメンバーも参加したそうですから、まあ、たいしたもんです。

「ソング・フォー・ユー」はシンプルなピアノのイントロから始まってあの独特のしわがれたような、裏返りそうな、なんとも言えない声で聴く者を惹きつけます。 美しいメロディーになんであの声がマッチしているのか不思議な気もしますが、そこがミュージシャンの才能というものでしょう。 プロの歌手がこの曲を本気でカバーしようと思ったら、それこそ歌手生命のすべてをぶつけるくらいの意気込みがなければ難しいんじゃないかと思うのは大袈裟か。

見た目も才能もインパクトのあるレオン・ラッセルは、ジョージ・ハリスンが主催したバングラデシュの救済コンサートにも出演して、ひときわ異彩を放っていました。 ボブ・ディランをジョージと二人ではさんで歌った「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」は良かったなあ。 この人はジョージ・ベンソンがカバーした「マスカレード」や、カーペンターズで大ヒットした「スーパースター」の作者としても有名なんですが、たぶん親分肌で他のミュージシャンからも尊敬される、そんな人なんじゃないかという気がします。


レオン・ラッセル(紙ジャケット仕様)レオン・ラッセル
これぞ唯一無二、この人だけの世界がここにあります。 スローなピアノの旋律にからむあのしわがれた、かすれた声。 それでも美しく聴こえるのがこの人の才能だと思います。

「なのにあなたは京都へゆくの」 チェリッシュ 1971年

2007-08-07

チェリッシュと言えば結婚式の定番ソング「てんとう虫のサンバ」がすぐに頭に浮かんできますが、悦ちゃんの声質に合っているのはデビュー曲「なのにあなたは京都へゆくの」や、「白いギター」のようなマイナーなメロディーの歌だと思います。 ところでこの息の長いおしどりデュオは、キツネ顔とタヌキ顔と言っては失礼ですが、対照的な顔つきだけど、ふたりとも優しそうな顔というところは共通していますね。

そもそもデビュー当時は5人組だったというのは知りませんでしたが、なんでまた「なのにあなたは京都へゆくの」なのか。 5人がどういう音楽志向だったのかは知りませんが、やっぱり優しい顔をしているのに悲しい声が似合う悦ちゃんの声質によるところが大きいんじゃないかと想像します。 控えめな歌声でサポートする松崎さんもなんか微笑ましいというか、この人は歌の種類によらず常に控えめなところがいい。 家庭でもそうなんでしょうか?

高校の文化祭のときにちょっと可愛いなと思っていた1年上の先輩がステージの上で「白いギター」を歌ったら、あんまりヘタで百年の恋も一瞬にして醒めてしまいましたが、それよりもあの実力で全校生徒の前で歌ったという度胸を褒めてやりたい。 もうかなり昔の思い出になってしまいましたが、今聴きたいチェリッシュの歌はどれかと言うと、やっぱり歌詞も素敵な「なのにあなたは京都へゆくの」です。


なのにあなたは京都へゆくの チェリッシュなのにあなたは京都へゆくの チェリッシュ
おしどり夫婦デュオ、チェリッシュも最初は5人だったんですね。 「なのにあなたは京都へゆくの」は歌謡曲調ですが、やっぱりイメージはフォークソング。

「魚屋のオッサンの唄」 あのねのね 1973年

2007-08-04

これもある意味衝撃的でしたが、魚屋のオッサンが屁をこいたから「ブリッ」て、ただこれだけのことをギターを弾きながら歌うという暴挙に出て笑わせてくれたのが関西出身のフォークデュオ「あのねのね」でした。 ニコニコしながら無茶なことを平気で言う清水國明と、とぼけた持ち味と独特の声でボケをかます原田伸郎のコンビはその後テレビで大活躍でしたが、京都産業大学時代のメンバーにあの笑福亭鶴瓶師匠とその奥さんがいたとは最近まで知らなかった。

先日関西ローカルの深夜番組に原田伸郎が出ていて、相変わらずのトークと弾き語りで久しぶりに笑いましたが、彼は今でも関西では絶大な人気を誇っています...と、思う。 相方の清水國明はバイクで鈴鹿の8耐に出場したり、最近では釣りやアウトドアに凝ったりと、マイペースに活動を続けているようですが、お姉さんがあのブック・オフのパートから社長にまでなったのにはびっくりしました。 その後社内のゴタゴタで解任されちゃいましたが。

「魚屋のオッサンの唄」は、大ヒットしたシングル「赤とんぼの唄」のB面でしたが、A面よりさらに笑わせてくれるという所に彼らの気合と誇りを感じました。 そんなのあったかどうか分かりませんが。 もちろん本人たちは真面目に歌ってる曲もあるんですが、お笑いで認知されたんだったらそれはそれで大成功、別に後悔もしてないだろうと思いますね。


青春旅情 あのねのね青春旅情 あのねのね
高校時代に友人が歌ってくれた「魚屋のオッサンの唄」で爆笑。 そいつの作詞・作曲かと思ったら、「あのねのね」の歌だった。 原田伸郎、今でも大好きです。

「恋人もいないのに」 シモンズ 1971年

2007-08-01

爽やかな歌声で一度聴いたら忘れられない女性デュオ、シモンズの名前がサイモンとガーファンクルのSIMONから取ったとは、今回調べてみるまで知らなかった。 なるほど。 「恋人もいないのに」は彼女たち最大のヒット曲で今も愛される名曲ですが、「♪ バラの花束抱いて いそいそ出かけて行きました」なんて微笑ましくもあり、哀しくもあり、ちょっと恥ずかしくもあり、70年代ならではの歌詞だなあ。

70年代の初めはまだ中学生で、フォークギターをさわったこともなかったので女のくせに生意気にといっては失礼ですが、声は綺麗だしギターも弾けるしと、当時はなんだか憧れと嫉妬がまざったような気持ちがあったのかもしれません。 まあ、まだ年端もいかない子供だったからそれは許していただくとして、中学の同級生でギターを持っている奴がいると、羨ましかったのは確かです。

ギターを初めて弾いてみるとまず当たり前ですが音が出るのが楽しくて、それからコードをひとつひとつ覚えていくのが楽しくて、生意気にもちょっと弾き語りをしてみるのが楽しくて、さらに友人たちと一緒にギターを弾いたり歌ったりするのがもっと楽しくてと、音楽の喜びは限りなく広がっていきます。 ひとりでやるよりふたりの方が当然楽しいですから、デュオっていうのは音楽の楽しみの一番シンプルな形なのかもしれませんね。


恋人もいないのに シモンズの世界恋人もいないのに シモンズの世界
すっきり爽やかな女性デュオと言えばこのふたり、シモンズ。 最近こういう感じの声を聞かなくなったなあ。 「恋人もいないのに」を聴いて感傷に浸りましょう。

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プロフィール

Author:music70s
1957年生まれ。
福岡県在住です。

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