「ボーン・トゥ・ラン」 ブルース・スプリングスティーン 1975年

2007-11-30

新盤「マジック」も好調なボスことブルース・スプリングスティーンを初めて聴いたのは大ヒットアルバム「明日なき暴走」のタイトル曲です。 テレキャスターを抱えたブルースがかっこいいジャケットも素敵でしたが、泥臭くて激しいロックンロールを身上とする彼が本領を発揮するのはやっぱりライブ・パフォーマンスです。

思い切り息を吸い込んで思い切り声を張り上げ、ステージ狭しと走り回り、それでもバンドのメンバーともコミュニケーションを取りつつ、挙げ句の果てに酸欠で倒れるまで歌い続ける彼のステージは共感を呼び、ボスという称号を得るまでになりました。 スーツを着たロッカー、ロバート・パーマーは「あんなの音楽じゃない」とか言ってましたが、ボロボロのジーパンにヨレヨレのネルシャツが似合うブルースとはまあ相性悪いでしょうねえ。

「明日なき暴走」というタイトルは少し大袈裟だったかもしれませんが、真摯な激しさとでも言うべきものを持っている彼には似合っているのかも。 今は苦しいんだけど俺はあきらめないで走り続けるんだっていうメッセージが込められてるみたいでいいですね。 彼はテクニックがどうのこうので評価すべきミュージシャンではないので、どんなメッセージをこれから発し続けるのか、楽しみにしてます。


明日なき暴走 ブルース・スプリングスティーン明日なき暴走 ブルース・スプリングスティーン
日本盤のタイトルはちょっと大袈裟ですが、ザ・ボスの称号にふさわしい男の名盤。 こんなにテレキャスターの似合うミュージシャンは他にいないと思います。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.3

「東京ららばい」 中原理恵 1978年

2007-11-26

Tag : 中原理恵

歌謡曲のようなポップスのような、微妙かつ絶妙な筒美京平のメロディーラインでいきなりデビュー曲「東京ららばい」をヒットさせた中原理恵は、その後欽ちゃんの番組でコミカルで勘のいい演技を見せてくれたと思ったらドラマや映画にも出演して大活躍でした。 それが気が付いてみたらいつのまにか表舞台から消えてしまったのは、いったいどうしたんでしょう。

良くある話といえばそうなんですが厳しい芸能界、デビューから常に第一線で活躍し続けるのはやはり大変なようです。 都会の愛と孤独を大人の雰囲気で歌い上げて「東京ららばい」をヒットさせた理恵ちゃんは美人だけど抜群の美人ではなく、スラリとしていたけど抜群のスタイルでもなく、歌って演技もできる器用さはいわゆる器用貧乏とでも言うんでしょうか。

才気溢れる器用な人が山ほどいる芸能界、生き残るのはやはりどこか何かが突出している人なんでしょう。 数々のスキャンダルなどものともせず堂々と40歳過ぎてもアイドルをやっている松田聖子や、常に周りを意識してかっこいい自分を演じ続けるキムタクなど、普通の人間では無理なことをやり続けるのが芸能人。 理恵ちゃんはたぶん庶民に近い普通の人だったんじゃないかなあ。 ・・・当然の事ながら、事実は不明です。


GOLDEN☆BEST 中原理恵 SinglesGOLDEN☆BEST 中原理恵 Singles
そういえばいつのまにかいなくなってしまった。 歌も演技も達者で器用で、ポップスと歌謡曲の中間にいる人でした。 お元気にされているんでしょうか?

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.3

「人間の証明のテーマ」 ジョー山中 1977年

2007-11-22

Tag : ジョー山中

瀕死の黒人の青年が残した「ストウハ」という謎の言葉をめぐって物語が展開する森村誠一原作の角川映画「人間の証明」は、刑事役の松田優作はじめ豪華な共演陣で話題になり、殺されてしまったハーフの青年を演じたジョー山中の歌う主題歌もヒットしました。 メディアをうまく利用した角川の宣伝が当時は画期的でしたが、個人的にはあれ以来文庫本のカバーが映画の宣伝に利用されるようになってしまったのがちょっと気に喰わない。

日本ロック界のドン、内田裕也に見初められてフラワー・トラベリン・バンドのボーカルに起用されたジョー山中は圧倒的な歌唱力で人気を博しますが、残念ながらこの頃の彼の事はよく知りません。 YouTubeで探した映像では強烈なパフォーマンスを見せていて、70年代初めの日本でああいうステージを見たら衝撃を受けただろうと思います。

黒人と日本人とのハーフに生まれたことで彼の心の中にはひょっとしたらモヤモヤしたものがあって、歌や演技で発散していたのかもしれません。 絞り出すような、叫ぶようなボーカルが人の心を打つのは、彼のバックグラウンドと無縁ではないと思いますが、本人に言ってみたら案外「関係ないよ」って一笑に付されたりして。


究極のベスト! ジョー山中究極のベスト! ジョー山中
映画「人間の証明」に出演、テーマ曲も歌ってジ~ンとさせてくれました。 映画のテーマと彼の出自が重なって見えたから。 ソウルフルなボーカルを楽しもう。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.3

「マイ・スイート・ロード」 ジョージ・ハリスン 1970年

2007-11-18

You Tubeで70年代のヒット曲の映像を探してたら、懐かしいバングラデシュ・コンサートの一場面が出てきました。 リンゴ・スターやエリック・クラプトンを従え、生ギターをかき鳴らす白いジャケットにヒゲぼうぼうのジョージ・ハリスンはやっぱり素敵だった。 あのちょっと震えるような歌声が彼の人柄を表してるようで、亡くなってしまったのが残念です。 まだ58歳の若さでしたから。

70年にビートルズが解散した後、ジョージは3枚組の大作「オール・シングス・マスト・パス」で一気に才能を開花させます。 別にそれまで才能が無かったのではなくて、あまりにもレノン=マッカートニーが偉大すぎただけです。 それに当然の事ながらジョージのギターとコーラス、リンゴのドラムス抜きにはビートルズにはなれなかった訳ですからね。

ところがソロ初の大ヒット「マイ・スイート・ロード」はその後盗作騒ぎで訴えられてしまい、最終的には敗訴して当時の金額で60万ドル近い賠償金を支払うはめになってしまったそうです。 本人は気がつかないだけで、数え切れないほど聴いてきた音楽が無意識のうちに頭の中に刷り込まれてしまって、発表してみたらある曲にそっくりだったというケースは考えられなくもないんじゃないでしょうか。 ちなみに訴えられた曲に「酷似していた」そうですが、ジョージが意図的に盗作するはずないと信じているので今でも「マイ・スイート・ロード」が好き。


オール・シングス・マスト・パス ジョージ・ハリソンオール・シングス・マスト・パス ジョージ・ハリソン
ビートルズ後期に才能を開花させたジョージ・ハリスンが、解散後一気に貯めてきたものをはき出した傑作。 「マイ・スイート・ロード」が懐かしい。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.3

「酔って候」 柳ジョージ&レイニーウッド 1978年

2007-11-14

酒好きの友人がカラオケで柳ジョージの「酔って候」を歌ったら、あまりにもピッタリはまっていて感心したことがありますが、ちょっと枯れた声で歌う本家柳ジョージの歌は確かにかっこいい。 伝説のバンド「ゴールデン・カップス」にも在籍していた彼は78年に柳ジョージ&レイニーウッドでファーストアルバムをリリース、翌年には名盤「Y・O・K・O・H・A・M・A」を発表して広く名前を知られるようになりました。

どちらかというとフケ顔でどこにでもいそうなオジサンみたいな柳ジョージはこれしかない、というくらいヒゲとサングラスが似合っていて、髪を七三に分けてヒゲを剃ったらいったいどんな顔なのか気になるところですが、たぶん日本で一番サングラスの似合うオジサンじゃないでしょうか。 以前紹介したデイヴ・メイスンがどうしても柳ジョージにかぶって見えて仕方がないんですが、どちらも渋い歌声とギター、そして人の良さそうなところが気に入ってます。

僕は今年50歳で人生約三分の二が終わったところですが、これからはサングラスやスポーツカーの似合うかっこいい爺さんになるべく日々精進したいと思っているところです。 今回大ヒットした「雨に泣いている」よりも先に「酔って候」を取り上げたのは、楽しく酒を飲んでいそうな洒落たオッサンというか大人にちょっと憧れもあるからで、たまに友人と飲む時も愚痴ばっかりこぼしてちゃイカンと反省もしている、今日この頃。


ゴールデン☆ベスト 柳ジョージとレイニーウッドゴールデン☆ベスト 柳ジョージとレイニーウッド
こんなにヒゲとサングラスの似合う人はそういない。 渋い声とストラトキャスターで、いつまでも現役ミュージシャンでいて欲しい。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.3

「シーズ・ア・レディ」 トム・ジョーンズ 1971年

2007-11-10

野太い声にムキムキのボディー、イギリスはウェールズ出身のトム・ジョーンズは、パワフルなボーカルで世界的に人気のあるボーカリストです。 よく比較されるのが「太陽は燃えている」で有名なエンゲルベルト・フンパーディンクですが、よりダイナミックでセックス・アピール満点なトムジョーンズのほうがインパクトがありましたね。 女性だったらキスしただけで妊娠しそうな迫力でしたから。

ラジオから流れてくる「シーズ・ア・レディ」のロックっぽいメロディーとパンチの効いたボーカルが気に入った僕は、さっそくレコード店へシングルを買いに行って更に気に入った挙げ句、中学校の文化祭へレコードを持って行きました。 クラスの皆がお気に入りのレコードを持ち寄ってよく覚えてないけど音楽喫茶?のようなことをやったんです。 ああ、あれは秋だったんだなあ。

ところが文化祭が終わってさあ、役目を果たした「シーズ・ア・レディ」を持って帰ろうとしたところが、なんといくら探しても見つかりません。 ドサクサに紛れたんだかどうしたんだか、僕のお気に入りが行方不明になってしまったんです。 ひょっとしてコイツ怪しいんじゃないかと思ったクラスメートにそれとなく探りを入れてみたらあっさり否定されて、気の弱い僕はそれ以上探すのをあきらめてしまいましたが、今となってはほろ苦い青春の思い出です。 いったい誰が持って帰ったんだ、俺の「シーズ・ア・レディ」!


グレイテスト・ヒッツ トム・ジョーンズグレイテスト・ヒッツ トム・ジョーンズ
ムキムキボディにパワフルなボーカル、目があっただけで妊娠しそうなイギリスのセックス・シンボル、トム・ジョーンズ。「シーズ・ア・レディ」はこの人ならではの名曲です。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.3

「シェリーに口づけ」 ミッシェル・ポルナレフ 1971年

2007-11-06

フレンチ・ポップスの革命児、ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」は気分がウキウキしてくる名曲で、当時中学生の耳にはフランス語がまた新鮮でムズムズするような心地よさがありました。 それでどのあたりが革命児かというと、でっかいサングラスをかけた派手な外見に、フレディ・マーキュリーもたじろぐヌード写真を堂々と披露するはじけたところが、です。

ポルナレフは前回のエルトン・ジョンと同じく幼少の頃からピアノの英才教育を受けたものの、自分の本性とどうも合わないところに気がついたのかポップスやロックンロールに影響されて、ど派手なパフォーマンスに走ったところがよく似ています。 エルトン・ジョンと違ったのは60年代の終わりから70年代の初めにかけて母国フランスや日本で大ブレイクしたものの、憧れのアメリカに渡ったにもかかわらず成功が得られなかったところです。

音楽的な才能が充分あったのに多分本人が望むほどの結果を手に出来なかったのは、ひょっとしたらエキセントリックな性格が災いしたのか、天才肌にありがちなストレスに弱いところがあったのか、本人に会ったことがないのでよくわかりません。 あたりまえか。 でも「シェリーに口づけ」のような時代を超えて愛される名曲を生み出した才能は、やっぱり本物だと思います。


ポルナレフ・ベスト ミッシェル・ポルナレフポルナレフ・ベスト ミッシェル・ポルナレフ
当時は英語の歌が外国の歌と思ってたので、フランス語で歌う変なヤツの出現にびっくりした。 今聴いても色あせない「シェリーに口づけ」は素晴らしい。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.3

「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」 エルトン・ジョン 1973年

2007-11-02

もはや永遠のスタンダード・ナンバーとなった「僕の歌は君の歌」でスターの仲間入りをしたエルトン・ジョンは、セカンド・アルバムのジャケットからも内気でおとなしそうなイメージが伝わってきます。 それがだんだんと本性を現したというか、才能が性格を飲み込んだというか、なんだか吹っ切れたような「クロコダイル・ロック」や、ゴージャスかつ郷愁を誘う「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」のヒットで、ポップ・スターとしてその後音楽界に君臨する事となりました。

この人はもともとピアノの神童だったんだそうで、イギリスの王立音楽院を経てプロのミュージシャンになったんだとか。 「王立」といい、現在頭についている「サー」の称号といい、やっぱり大英帝国は違うなあと感心したくなるのは庶民のやっかみか。 それはともかく頭髪の悩みを植毛で解決したり、イギリス人らしく自分のフットボール・チームを持ったり、両刀遣いを告白したり(現夫人?は男性です)、なにかと話題を提供してくれるエルトン・ジョンですが、偉大なるメロディ・メイカーであることは揺るぎない事実です。

「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」を初めて聴いたときは、あれ、エルトン・ジョンってこんなんやったっけ?と思いましたが、あまりにも名曲「ユア・ソング」のイメージが強すぎたんでしょうか。 ポップな曲にバラードからロックまで、オールマイティーな才能を発揮する彼はあっちの方もオールマイティーだったという訳で、いや、しつこくてすみません。 久しぶりに聴いてみた「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」は彼の才能が外側へブワ~ッと弾けていったのが目に浮かぶようで、やっぱり名曲だなと思った次第です。


グッバイ・イエロー・ブリックロード エルトン・ジョングッバイ・イエロー・ブリックロード エルトン・ジョン
「ユア・ソング」のイメージが強かったので、タイトル曲のゴージャス感がちょっと以外でした。 でもやっぱり偉大なソングライターです。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.3

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1957年生まれ。
福岡県在住です。

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