「お願い D.J.」 サザンオールスターズ 1979年

2008-08-31

サザンといえば夏の季語か、というくらい国民的バンドになったサザンオールスターズ。 今年の夏の締めくくりに日産スタジアムで、デビュー30周年記念「真夏の大感謝祭」と銘打った4日間の公演で約30万人のファンを集めて大盛り上がりだったようです。 僕はテレビで見たんですが、先頃無期限の活動休止を発表したこともあってか雨にもかかわらずファンもサザンも熱く燃えたライブでしたね。 解散ということではないようなので、しばらく各メンバー英気を養ってまた帰ってくるんでしょう。

ライブでも歌っていた「お願い D.J.」は歌詞だけ見ると何これ?と思うんですが、これがメロディーに乗るとあら不思議、まことにノリの良いサザンらしい曲となって気分をウキウキさせてくれます。 この軽さと調子の良さこそ桑田佳祐の真骨頂、そうでなけりゃ誰が「女呼んでブギ」なんて歌ったりステージにTバックのダンサーを登場させたりするでしょうか。 素人が酒を飲んで大騒ぎしているようなところや、心に染みるバラードでジ~ンとさせるところ、バラエティ豊かなのが彼らの持ち味です。

「お願い D.J.」にはウルフマン・ジャックの物真似が入っていて、若いファンには何でこんなの入れるの?という意見もあるかもしれません。 ただサザンがデビューした70年代は音楽ファンにとってラジオというメディアが今よりもっと大きな存在で、RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」の歌詞にもあったように海外のロックやポップスを届けてくれる貴重な音源だったんです。 僕も曲の紹介が終わったらDJの声が入らないように、なおかつイントロが途切れないようにすかさずラジカセの録音ボタンを押して、「よおし、OK!」なんて当時は喜んでました。

一番人気があったのはやはりオールナイトニッポンでその他の番組名はもう忘れてしまいましたが、和洋問わず様々なジャンルの音楽を聞いたのはもちろん、DJのお喋りは時に笑わせてくれたりしんみりさせてくれたり、ラジオは本当に身近な存在でした。 ウルフマン・ジャックについては映画「アメリカン・グラフィティ」に登場したのを見たぐらいでラジオで聞いたことはないんですが、あの頃はDJがスターになり得る時代だったのかもしれません。 サザンには「DJ・コービーの伝説」という曲もあるし、桑田さんもさんざんラジオを聞いてたんだろうなと思いますね。


10ナンバーズ・からっと サザンオールスターズ10ナンバーズ・からっと サザンオールスターズ
セカンドになってもアマチュアみたいなジャケット。 それでもスタンダード・ナンバーとなった「いとしのエリー」を生んで、キワモノ扱いから世間の評価も変わっていきました。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.4

「飛んでイスタンブール」 庄野真代 1978年

2008-08-23

Tag : 庄野真代

70年代終わりのヒットチャートに、異国情緒溢れるオリエンタルなムードの歌が2曲続けて登場しました。 1曲は久保田早紀の「異邦人」、もう1曲は庄野真代の「飛んでイスタンブール」です。 どちらも美人でしたが、ピアノを弾きながら歌う久保田早紀は曲の雰囲気もあってか可愛いけどニコニコしないおとなしい人だなあというイメージ、対する庄野真代は笑顔が素敵でちょっとゴージャスな大人の女性というイメージがありました。 で、今回は曲と言うよりは個人的な好みで、庄野真代です。

最初に彼女の歌声を聞いたのはたぶん荒井由実の名曲「中央フリーウェイ」だったと思います。 ハイ・ファイ・セットのカヴァーでもヒットしましたが本家ユーミンはあの独特のちょっとベタッとした声で、山本潤子は透明感のある素晴らしいハイトーン・ボイスで、庄野真代はほんの少しだけ甘い響きのある素敵な声で歌ってくれました。 同じ曲を色々なミュージシャンで聴き比べてみるのも楽しいものですね。 翌年に発売したシングルがちあき哲也作詞・筒美京平作曲の「飛んでイスタンブール」で、このコンビは続く「モンテカルロで乾杯」も手掛けましたが、こちらは前作ほどヒットはしませんでした。

ちょっと細かくなりますが「飛んでイスタンブール」は ♪ いつか忘れていった~ の"いつか"と音が上がるところ、 ♪ イスタンブール~ の"ブール"と音が上がるところ、この辺りが琴線に触れるところで、特にサビの部分で韻を踏んだちあき哲也の歌詞は彼女の良さをうまく引き出しています。 エキゾチックな筒美京平のメロディーといい、歌い手の良いところを最大限に生かす仕事をしてるんだと思いますが、それぞれの道のプロが集まってひとつの作品を創り上げる行為というのは、時には難産もあるだろうけど楽しいでしょうね。 さて、最近のアルバムのジャケットやオフィシャル・サイトで見る庄野さんは今でも充分お綺麗ですが、もう1回メジャーヒットを飛ばしてくれないかなあ。


Reminiscence 庄野真代Reminiscence 庄野真代
異国情緒たっぷりの「飛んでイスタンブール」の他、彼女と同世代の歌い手たちのヒット曲をカヴァー。 「中央フリーウェイ」を始め、「SEPTEMBER」・「異邦人」など懐かしい時代が鮮やかに甦ります。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.4

「シルヴァー・ブルー・アンド・ゴールド」 バッド・カンパニー 1976年

2008-08-16

デビュー・アルバム「バッド・カンパニー」や、続く「ストレート・シューター」に比べるとやや地味な印象のある「ラン・ウィズ・ザ・パック」は、幸せそうな狼の家族を描いたジャケットのせいもあったんでしょうか。 "pack"には動物の群れや獲物を追う猟犬の意味があって、"wolf pack"といえば敵に攻撃をかける潜水艦群や獲物を狩る狼の群れのことです。 狼にはその精悍な見た目から受けるちょっと怖いイメージもありますが、実際は生涯一夫一婦制で家族を大事にする動物なんだそうで、このアルバムのジャケットは明らかに後者のイメージですね。

「シルヴァー・ブルー・アンド・ゴールド」は、"In the beginning ~" という歌い出しから、やっぱりポール・ロジャースはええなあ・・・!と思えるナンバーです。 「キャント・ゲット・イナフ」のような軽快なロックも良し、「グッド・ラヴィン・ゴーン・バッド」のようなシャウトも良し、だけどポール・ロジャースの声というか喉が最も美しく響くのはこういうミディアム・テンポのメロディーじゃないでしょうか。 まさかフレディー・マーキュリー亡き後のクイーンで歌うとは思いませんでしたが、しわがれ過ぎない絶妙なトーンで歌う彼がプロのミュージシャンにも人気があるのは、なるほど納得です。

ポール・ロジャースがポール・コゾフらと共にフリーを結成したのは二十歳そこそこで、それがなんであんなにシンプルでしかもズシッとヘヴィーな音楽をやれたのか、これはもう才能以外の何ものでもないんでしょう。 そのフリーから一転して明るい?ロックバンドへと変身したのは彼のボーカルがもっと弾ける場所を求めていたのかもしれません。 バッド・カンパニーの成功はアメリカで受け入れられたことと、何よりも前に出すぎないミック・ラルフスのギターがポール・ロジャースの歌を最大限に生かしたことにあると思います。 メンバー間の軋轢があったとしても、フリーでもバッド・カンパニーでも良き相棒に恵まれていたのがラッキーですね。


ラン・ウィズ・ザ・パック バッド・カンパニーラン・ウィズ・ザ・パック バッド・カンパニー
ファースト、セカンドと比べるとやや地味な印象のサード・アルバムですが、それでも全米5位・全英4位を獲得してます。 ビッグ・ヒットはないけれど佳曲ぞろいの名盤です。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.4

「ワン・ラスト・キッス」 J.ガイルズ・バンド 1978年

2008-08-09

高校時代の友人に音楽に詳しい奴がいたんですが、同級生の誰もが知っているようなミュージシャンにはあまり興味がないらしくて、鮎川誠が在籍していたロックバンドのサンハウスとか、ジャズなど興味がなくて当時はまったく知らなかったマイルス・デイビスとかを教えてくれるわけです。 そんな彼が笑顔で「あぁ、お前は知らんやろうのお」とか言いながらジェイルズ・ガイルズ・バンドとかいうバンドのことを褒めてました。 聞いたことないけどなんかカッコいい名前のバンドだなあと思いましたが、アメリカで結構人気のある奴らだと知ったのはもう少し後のことです。

ただ学生時代はブルース・ロック系の音楽よりもどちらかといえばブリティッシュ・ハードロックやウェストコースト・ロック系の音が好きだったものですから、J.ガイルズ・バンドについては詳しいことはその後も知らずじまいです。 それでも印象に残っているのがイントロのギターにちょっと胸がキュンとなる名曲「ワン・ラスト・キッス」ですね。 サビの部分の独特なメロディー・ラインから再びギターのリフレインに戻るところは絶品です。 彼らは80年代に入ってからの「センターフォールド」やこの曲を収めたアルバムのタイトル曲「フリーズ・フレイム」のヒットの印象が強くて、これはMTVの影響もあったんでしょう。

ところが皮肉なことに大ヒットを飛ばしたのはいいんだけどその後ボーカルのピーター・ウルフが脱退して、つかの間の絶頂期は終わりを迎えてしまいます。 60年代の終わりから活動を続けていた彼らも、広く受け入れられたのが原因で解散じゃあちょっと悲しいけど、ショウ・ビジネスなんてこんなものかもしれませんね。 あの少しひねくれた音楽通の友人は僕のお気に入り「ワン・ラスト・キッス」にも多分「ああ~っ」とか言いながら首を振ったと思います。 でもいいものはいいんだから、いいんじゃないの? しばらく会ってないけど元気にしているか、音楽通のA 。


サンクチュアリ J.ガイルズ・バンドサンクチュアリ J.ガイルズ・バンド
萩原健太さん言うところの"永遠のB級バンド"、J.ガイルズ・バンド1978年のヒット作。 本領発揮の2枚組み痛快ライブ・アルバム「狼から一撃!」に続いてジャケットもかっこいい。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.4

「裏切りの街角」 甲斐バンド 1975年

2008-08-03

Tag : 甲斐バンド

昨年12月に一夜限りの復活ライブを行った甲斐バンドが、この秋に解散以来22年ぶりの全国ツアーをスタートするそうです。 名付けて "甲斐バンド BEATNIK TOUR 08-09 THE ONE NIGHT STAND"。 おお、カッコイイ! 元々ライブに定評ある彼らですが、年を重ねた今どんなステージを見せてくれるんでしょうか。 同じく昨年12月、ロンドンはO2アリーナで行われた一夜限りの復活ライブが絶賛されたツェッペリンに負けないパフォーマンスを期待したい。 なんといってもロッカーは年齢に関係なく元気ですからね。

彼らには「オープニングのこの曲でその日のライブの調子がわかる」と甲斐よしひろが語っていた、イントロのギターのカッティングが印象的な名曲「きんぽうげ」みたいに観客を煽るようなロックもあれば、いまだにちょっと納得がいかない「HERO」のようなコマーシャルな曲もあります。 だけど甲斐バンドが、というよりは甲斐よしひろが素敵なのは、デビュー曲の「バス通り」や続く「裏切りの街角」のようなフォークでもなければロックでもない、哀愁漂う胸に沁みる歌を書けるところにあると思います。

セカンド・アルバムに収められた「裏切りの街角」は、オリジナリティー溢れるメロディーに乗せた歌詞の中に"五月雨"や"プラットホーム"、"発車のベル"など、まず今では出てこない言葉や風景が出てきます。 つらい別れを描いた曲なんですが、悲しい雨が降るのは冷たい冬ではなく暖かい季節であるところに彼の非凡なセンスを感じます。 ロックだろうがなんだろうが、どんな歌を歌ってもどこか切ない、胸がキュンとなる雰囲気を持っていることが甲斐よしひろ最大の持ち味だと思うんですが、どうでしょう。


英雄と悪漢 甲斐バンド英雄と悪漢 甲斐バンド
ライブで盛り上がる「ポップコーンをほおばって」から始まって気だるい「東京の冷たい壁にもたれて」へ。 憂いと翳のある独特の日本語ロックを展開した甲斐バンド初期の傑作。 名曲「裏切りの街角」収録。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.4

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Author:music70s
1957年生まれ。
福岡県在住です。

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