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「横須賀ストーリー」 山口百恵 1976年

2009-01-31

Tag : 山口百恵

横須賀には行ったことがないので地図を見てみると、東京湾を守るように突き出した三浦半島の東側に位置する港町で、東京からもけっこう時間が掛かるんですね。 浦賀沖にペリーの黒船が来航して以来幕府もこれはマズイということで、海軍の増強を図るため横須賀に製鉄所(後の横須賀海軍工廠)を造って、それ以来軍都として発展したのだそうです。 終戦後は在日米軍横須賀基地ができて、現在も自衛隊と共に市内のかなりのスペースを占めていますね。

同じく米軍基地がある佐世保には行ったことがあるんですが、横須賀同様背後に山が迫る地形の中、一番便利な場所にベースがあり、町の規模の割に消防署がデカイのは有事に備えてのことかと思ったりもしました。 前置きが長くなりましたが何が言いたいのかというと、港町でしかも基地の町でもあるヨコスカには、外国や異文化に接する独特の空気が流れているんじゃないかと思ったんです。 坂道が多いこともあって、名曲が生まれる舞台にはぴったりなんじゃないかと。

山口百恵が小・中学校時代を過ごしたのが他ならぬこの横須賀で、大ヒットした「横須賀ストーリー」の歌詞の中に "急な坂道駆け上ったら 今も海が見えるのでしょうか" というところがありますが、これはまさに彼女が目にしていた風景なんでしょうね。 この歌は作詞・作曲の阿木耀子と宇崎竜堂にとっても転機となった記念すべき曲で、宇崎は「この曲を彼女に提供したことでプロの作曲家として活動する覚悟ができた」と語っていますし、阿木も「この曲がなければ作詞家にはなっていなかった」そうです。

その後阿木・宇崎のコンビが生み出した名曲の数々は山口百恵を別格の存在へと押し上げるのに貢献し、感動的な「さよならの向こう側」へと繋がってゆきます。 「横須賀ストーリー」は切ない女心を吐き出すようで印象的な "これっきり これっきり" というサビの部分が曲の冒頭にきますが、これを提案したのは阿木で、彼女が先に書いた詩に宇崎があとから曲をあっという間につけたそうです。 ふたりに才能があったのはもちろんですが、いい歌を書かせたのは唯一無二の孤高のアイドル、百恵の個性だったのかもしれませんね。


GOLDEN☆BEST/PLAYBACK MOMOE part2GOLDEN☆BEST/PLAYBACK MOMOE part2
もはや伝説と化した昭和のアイドル山口百恵。 あらためていい曲に恵まれた人だなあと思います。 14才のデビューから21才の早すぎる引退まで、彼女の代表曲を網羅したベストです。

「70年代思い出の名曲」でおすすめしたアルバム Vol.4


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